カメラ

ミラーレスや一眼レフが必要なのか、必要ではないのか、

その理由もわからず、ノリで用意しようかと思っている次第だ。

Nikon Z50Ⅱ でいいかなと思ったら、

どうやら手ブレ補正がなく、裏面照射( BSI )でないらしい。

それだと、NIKON Z5Ⅱになってしまう^ー^

業者いわく ISO 不変性は崩壊したらしいので、

オート撮影してディーププライムで全てがどうでもよくなってしまう。

α6700 とかでもいい気がするが^ー^

さて、15年前のミラーレスや一眼レフに求められたことは何だったんだろうか。

それは、スマホやガラケーとは違う、

プロっぽい綺麗な写真が手軽に撮れたところだろう。

当時の技術水準であっても、

一眼レフやミラーレスなら、

背景がボケた写真や映画みたいな写真が簡単に手に入ったからだ。

モニタで見なければわからないなどとほざいているキモオタがいきがっていたが、

アイフォーン4S とかの写真はカスで、

誰がどう見てもミラーレスのほうに軍配があがった。

構図とかはどうでもよく、

単純に綺麗な写真や画質が良いことが好まれた。

日常のワンシーンをミラーレスで撮るだけで絵になったのだ。

素人騙しかもしれないがそれで良かったのだ。

最近は、まあ見れるかもしれないので、

アイフォーンでいいかもしれない。

イマはミラーレスも進化して進みまくっているので、

いわゆる、英語にするとアドバンスなので、

もはや、映画なのだが、はたしてそれが必要なのだろうか。

これは美術でいう「スーパーリアリズム」と似ている。

写真のように精緻な絵がかけたところで作家性はないので評価されない……みたいな?

ハッセルブラッドでサグラダファミリアを撮っても、

その写真を見返すことはないだろう。

フォトウォークという文化も瓦解した。

オトコのカネでカフェ巡りをするナオンもいなくなったに違いない。

では、オレっちが求める写真とは何だろうか。

それは、ブログフォトである。

2000年代に流行りに流行った、あのブログの素人のような写真を、

あのゴミのような質感を、令和のイマ、

あえて、皆さんに提供しつづける使命があるのだと思う。

そこには高尚な作家性はないのだが、

やはり、やらなければならない。

オレっちに必要なのはコンデジである。

 

子どもの写真や家族の写真を見返すことはない。

これは、物理のアルバムでないからだという意見もあるが、

そうではないと思う。

家族が家族として集まることがないからだ。

「田舎のおばあちゃんち」という90年代の文化がなくなったように、

家族でアルバムを見返すという文化もなくなるのだ。

そして、家族を高画素でとっても意味がない。

 

多くのヒトがカメラで撮影する目的を失いつつある。

その答えは、スマホのカメラでも撮影しないことである。

もう、カメラを使う理由もなくなった。

スマホでも撮影しない。

カメラを使わなければ、旅の記憶とかも覚えていないかもしれないが、

写真を撮ったところで見返すこともない。

 

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