美少女ゲームやサブカルチャーが好きな女の子が1992年にタイムスリップしてしまって……。
2023年の秋アニメですけど、この作品は面白いですね。
主人公の秋里 コノハちゃんの声が萌え声ですけど^ー^
わざと昔のキモオタアニメの声にしているんでしょうね。
エンキスとリコリスが並んでいるのがいいですね。
主人公は美少女ゲームのイラストレーターをやっています。
しかし、美少女ゲーム業界は斜陽です。
主人公の会社も、
廉価な催眠モノぐらいしかリリースできないという現実があります。
主人公はフルプライス(1万円ぐらいする美少女ゲーム)を描きたいのに……。
ライトノベルやソーシャルゲーム、ブイチューバーの波に飲まれ、
斜陽も斜陽……もはや、太陽なんてねえよって感じなんですね^ー^
また、メインのイラストレータも、
「絵柄が古い」「センスがない」などと言われて傷ついているわけです。
まあ、オタクは辛辣ですから。
それで、筆が折れているわけですね。
主人公も、美少女を描きたいのですが、
男のキャラクターばかりを塗っているのです。
主人公はマッピでハピメアを受け取ります。
時代設定は2023年なのでしょうね。
コノハちゃんは恥じらいます。
キモオタゲームを買うのって躊躇しますからね^ー^
主人公は美少女ゲームが好きであるものの、
キモオタの界隈は「魅力的な作品が減ったのはガチ」などとほざいています。
サブカルチャーのムーブメントを感じますね。
主人公の会社が Blue Bell だから「青鐘」なのかな?
電車の広告も、ソシャゲばかりで心が痛むのです。
三鷹にあるコノハちゃんのアパートです。
キモオタの部屋ですね。
ちさとちゃん、かわいい。
本棚には、紙芝居ゲームの箱がずらりとあります。
主人公は Pixiv などで絵を公開しています。
いつしか、自分のキャラクターを世に広めたいという情熱があるのです。
翌朝、主人公は催眠モノに代わる新作のアイディアを進言しますが、
「4500円の催眠モノしか作れない」「大作をみんなが買っていた時代は終わった」と言われます。
Kanon の初回限定版が100円で売っているのを見かけます。
なんだかんだあって、
1992年の12月24日ぐらいの秋葉原にタイムスリップするわけですね。
PC-9801 です。
ドクターグリップは、
1992年ぐらいに発売されているので、
時代を反映していますね。
ピンクのグリップのモデルはありませんが。
作品の設定に協力してくれた方々です。
この作品は、主人公の感情の機微が描かれていて面白いです。
話の構成もしっかりしています。
主人公は女性ながらも、サブカルチャーをとりまく美少女キャラクターが好きです。
彼女の「美少女ゲームが好きだ」って気持ちが伝わってくるのが、
この作品の良さですね。
よくある、お仕事アニメとは違い、彼女の人間性が伝わってくるのです。
「斜陽となっている美少女ゲーム業界」と「コノハちゃんの美少女ゲームに対する情熱」の対比を物語の軸にしつつも、
タイムリープ・タイムトラベルにより、
1992年の当時の隆盛を極めたゲーム業界に足を踏み入れるといった二段構成になっています。
今の凋落した美少女ゲーム業界では、彼女の情熱を受けとめることはできません。
あくまで、舞台装置としてタイムスリップするんです。
トラックにひかれる、なろう系よりも序盤の導入がよくできているわけですね^ー^
つまり、16bit センセーションの本質は「異世界転生モノ」なんですね^ー^
異世界転生モノの多くは厭世感に満ち満ちています。
16bit センセーションの主人公も、厭世感にとらわれているんです。
ですから、1992年の年末にタイムスリップするしかないんです。
現代で名作の美少女ゲームを作る話にしたらいいじゃない! と思われるかもしれません。
ぎりぎり、テン年代の、
『冴えない彼女の育てかた』とか『少女たちは荒野を目指す』とは時代が異なります。
2020年代では、ブルーベルの社長がいうように名作が売れる時代は終わったんです。
「1992年当時にタイムスリップしても、当時のユーザーの熱量を表現できない。ノスタルジックに浸っている場合ではない」などという意見はお門違いです。
コノハちゃんは、1992年の年末にタイムスリップするしかないんです。
現代から見て「当時は良かった」と感傷することで、
フィクションながらも、より輝いた1992年を、
現代のお話として、日本のアニメーションとして、仮構できるんです。