10年ぐらい前に「 絵画調 HDR 」という手法が流行った。
Adobe Lightroom などで明瞭度を調整しないと実現できないため、
最先端のオタクスキルを誇示したいという渇望や、
オートで撮った写真……あるいはスマホの写真でも良いというインスタントさが、
流行した理由として挙げられる。
また、絵画調 HDR によって ツイッター(現 X )などで耳目を集めたオタクや、
教本を出版したヒトもいたのである。
オルトキーを押下しながら、白レベルと黒レベルをいじり、
明瞭度などを操作する。
当時はとってもハイカラだった^ー^
あるコンテストでは、スマホのエクスペリアで撮影した写真を拡大して、
ペンタブで描くなり、HDR をかけたものが優勝をかっさらっていった。
アドビの専任の写真家も、絵画調 HDRであったし、
なんなら、フォトショップを使って満月を描いていた。
対するのは、
原理主義といっていい、ジェイペク撮って出しのオタクである。
Lightroom による RAW 現像は邪道な加工といい、
頑なに認めない硬派なオタクたちであった。
もちろん、レフ機である。
EV 値(エクスポージャーバリュー)による「体感露出」をウリに、
露出計も使わずに作品を世界に発表していったのである。
当時のミラーレスは黎明期であったので、
EV 値からコンボリューションされる一眼レフの写真は、
フィルムの時代から連綿と続くプロフェッショナルさ、
はかりしれない矜持があったのだろうか。
そして、2024年の令和になると、
どちらもオワコンになった。
絵画調 HDR は、
ラチシュードが狭くなるのが欠点であり、
一眼レフ jpeg 撮って出しのオタクから嫌われていたが、
世間に飽きられたのかオワコンになった。
ごく一部のオタクしか貫いていない。
俺っちは伝えていこうと思う。
ジェイペグ撮って出しのオタクは、
市場のほとんどがミラーレスになったので、
存在理由を見い出せなくなったのだろうか^ー^
EV 値の規格や概念自体がなくなったようなので、
激しくオワコンである。
10年という月日はカメラだけでなく、
オタクをも変えてしまったようだ。
写真部というのは、どこの高校や大学にあるものだと思う。
部長がバイトを頑張って高いカメラを買ったとかいうナラティブだとか、
写真を印刷してコンテストで発表しただとか、
そういったアクティビティを集団で競い合うものである。
構図は誰かの模倣であるし、
ローよりにした白黒写真が流行する。
写真の文化の啓蒙であることは間違いないのだが、
何かが違うのだろう。
そう、何かが。
令和のイマは誰しもが写真のプロといっていい。
プロカメラマンは「有名なヒト」「金銭を享受しているヒト」から、
「インターネットや SNS で名を馳せるヒト」に定義が変わってしまった。
旧態依然とした「カメラ」は必要がない。
オートで撮影した写真から、
ローよりの白黒写真……、マニュアルとなり、
最終的にはオートでの撮影に回帰する。
これはセンサーがオートで出力する写真が綺麗である場合があるからだ。
構図は写真家先生の受け売りになってしまうので、
令和のイマは、もはや必要がない。
ダイナミックレンジも、
14ストップ以上あるカメラが大多数を占めているので考える必要がない。
広大なダイナミックレンジが必要なら、
ARRI とかのシネカメラの映像をキャプチャすればいいのである。
現に、一部の報道では、
動画のキャプチャが写真として使われているようだ。
令和のイマの写真やカメラのありかたについて考えていこうと思う。
まず、カメラであるが、
フルサイズのミラーレスであれば、
もはや何でもいいだろう。
ソニーのアルファは、
ユーチューバーはもちろんのこと、
アダルトビデオ業界でも使われている。
パナソニックのカメラは冷却のためファンが付いている。
たとえ、アルファが発熱で30分ぐらいしか動画が撮れないとしても、
編集して動画を繋げればいいのでね^ー^
高画素になるとダイナミックレンジが狭くなると、
まことしやかにいわれている。
光を通さなくなり、
画素数とダイナミックレンジは反比例するというものだ。
しかし、裏面照射( BSI )なら話が別である。
イマの時代は1億画素ぐらいあったほうがいいだろう。
まあ、よく知らねえけど、
その理論でいくと、白羽の矢が立つのは、
富士の GFX 100Ⅱ やハッセルブラッドになるのという。
俺っちたちは、無数の欠点があるとはいえ、
SIGMA fp L をすすめている。
カメラを買った初日に、
Lightroom を導入したほうがいい。
RAW 現像する手間があるとはいえ、
現代ではライトルームは必須である。
写真が加工されたかどうかなんて、
もはやどうでもいいのである。
写真をみるヒトは、
加工された背景なんて知るよしもないのだから。
写真はベース ISO のままで撮影することを心がけたい。
ベースアイエスオーで撮った写真のノイズを消すために、
DxO PhotoLab の Deep Prime XD を使うべきである。
また、前述のとおり、写真はオートでいい。
オートだと場合によってはノイズが乗りがちになるが、
それも、Deep Prime XD でかき消せばいいのだから。
モーションブラーが必要だとか、
マニュアルが必要になるかもしれないが、
まあ、必要ねえだろ。
Zone System とかも不要である。
そして、構図もいらない。
写真を決定づけるものは、
自分自身がいままで目で見たもの、感じたもの、だといわれている。
それなら、絵画とかを見たほうがいいのではないか。
モニタであるが、IPS であるのが前提で、
EIZO のカラーエッジとかだと、
色の深みがあるのでなおのこと良い。
しかし、プラズマディスプレイで現像してもグッドだし、
有機 EL の中華なモバイルディスプレイとかでもいいだろう。
このように、写真は何もかもがオワコンで、
流行る気配すらない。
生成 AI の時代だ。
フルサイズの適当なミラーレスを買えば、誰もがプロになれる。
日常を切り取りたいという思いは誰しもが持つものだから。
そういった根源的な欲求がある限り、
カメラのシャッターはこれからも切られていくのだと思う。
てか、写っていればどれも同じだよ^ー^
最近は Y2K ( Year2000 )の潮流として、平成レトロとして、
2000年代の、
それも黎明期のデジカメ・コンデジが若者に流行っているという。
カスみたいなダイナミックレンジが若者を虜にするようだ。
画質が悪いのが良いと捉える時代が来たようである。
その昔はフィルムだったのが、
イマでは平成初期のデジカメなのである^ー^
前述の通り、スマートフォンではなく、
あくまでカメラとして、趣味のカメラとして、
シャッターを切りたいのだから……。
俺っちは、1万の RX100 を使ったり、
使わなかったりしているが、
「もっと画質が悪いといいなあ」と常日頃から思っている。
カスみたいなデジカメで適当に撮影する。
構図もテクニックも何もいらない。
これからは、生成AI とオールドデジカメの相克である。
ふと、家電量販店を見ていたら、
良さそうなコンパクトデジカメが。
ケンコーの KC-AF05 というらしい。
手に持ってみると、軽い。
そして、画質も悪いのでオススメである^ー^