米とは連綿と続く、
エスニック集団・日本国在日日本人の概念であり、
象徴でもあるのは周知の事実だ。
プロレタリアートで清貧かつ極貧な日本人は、
資本主義システムのコントロールにより、
米すら買えない時代に突入した。
しかし、米とは日本文化の通奏低音であり、
それを尊重し続ければ、
いくら食文化が変わろうと、日本人でいられるのだ。
福音となるのが、
インドの伝統的な食文化のひとつとして数えられる「ナン」だ。
そして、ナンを日本でこさえることによって、我々はインド人を超えなければならない。
そう、強く思う。
日本人のナン
- 強力粉:250g-260g ぐらい
- ドライイースト:3g
- ベーキングパウダー:1gぐらい
- 砂糖:30g
- 塩:5g
- マーガリン:30g
- 水150ml ぐらい
まずは生地をこさえる。

発酵させたあと、焼くだけだ。
インドの伝統的な釜である「タンドール」が一般家庭にないのが懸念であるが、
日本人であっても、オーブントースターなどで代用できる。

完成である。

ハチミツを加えるとか、
牛乳やヨーグルトを混ぜるとか、
カスタマイズの余地があるが、
コストを考えるとベーシックといえるナンになった。
炊飯器などは捨て、ホームベーカリーでナンをつくるのが、
現代の日本人のあるべき姿ではないか。
ナンをこさえることができれば、
当然のこと、ピザも作れるようになるし、
なんなら、パンをつくったほうがいいまであるので、
通過儀礼として、何としてでも、ナンを作らなければならない。
そういった、見えない強制力が日本国全体に働いているとさえ、
最近とみに思う。
コンビニでおにぎりを買うとか、
松屋の牛丼であったり、
スシローで回転寿司を食べたりするのが、
ごちそうとなる時代が到来したのである。
ナンは米を概念や象徴とするだけでなく、
必要性を示唆するものとして今日的意義を持つのである。

