たとえ、発達障害だとしても……、自信を持ってください。

最近とみに、自閉症だとか発達障害だとか ADHD だとか ASD とかが、

世間を席巻し、流行りに流行っていますね^ー^

まあ、サリエンスネットワークだとかエグゼクティブネットワークだとかが、

現代社会の軋轢とかによって、機能していないのかもしれませんが。

 

しかし、たとえ、発達障害だと診断されたとしても、

絶望する必要はありません。

いいですか。

 

普通のヒトよりも、発達が遅れているだけですから、

30歳とか40歳ぐらいになれば、

普通のヒト以下の能力にはなれるんです。

 

ですので、自信をもってください。

それには、日々の対策であったり、たゆまない努力などが必要になったりするんです。

ハードルが高いほうが人生は楽しいですしね。

ですから、20代前半とかで、ADHDだとわかったとしても、

絶望に打ちひしがれて、深い悲しみに暮れる必要はないんですね。

 

まあ、おっかさんの母胎にいるときに「健常者に産んでね」って LINE をするべきだったのかもしれません。

 

こうした話をすると、

「若いときの時間がムダじゃねえか」と反論されたことがあります。

 

おこがましいんですね。

いいですか。

科(とが)なんですね。

端的にいうと、贖罪です。

 

発達障害ですと、だんだんと人間関係が希薄になると思います。

それでいいんです。

いいんです。

いいんです。

いいですか。

発達障害だと大抵の人間が馬鹿にしてくるはずです。

「あのヒトって幼稚だね」とか。

「小学生みたいなヒトだよね」とか。

そこで、道化師を演じる必要はないんです。

人生という舞台はひとりで踊ればいいんです。

 

そして、最終的には謙虚な人間になるんですね。

日々、努力していれば、驕り高ぶることはありません。

なぜなら、崇高な目標がありますから。

ですので、謙虚な人間になるんです。

 

発達障害は、いわば、贖罪ですが、

謙虚な人間になるイニシエーション(通過儀礼)です。

20代で絶望したとしても、

中年になるころには、普通のヒト以下の能力の人間が醸成され、

「謙虚さ」が手に入ります。

これは、ピカチューのポケモンカードよりも価値のあるものです。

てか、オレっちにピカチューよこせよ。

 

そこには、もう、他人を馬鹿にしたり、おとしめたりことはありません。

試練をとおして、謙虚な人間になったのですから。

誰よりもヒトの心の痛みがわかる、謙虚で思慮深い人間になれるのですから。

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