今と昔の異世界転移・異世界転生の違い。 – 小室奎のブログ

今と昔の異世界転移・異世界転生の違い。

ライトノベルの読者層は30代から40代となったといわれている。

10代の頃に読み飽きたライトノベルが、また楽しくなる年頃なのかもしれない。

とくに人気なのは、「なろう系」「異世界系」である。

「小説家になろう」というウェブサイトに投稿された連載小説が、

KADOKAWA などの出版社の、営業の目にとまり商業出版されるというケースが多い。

ライトノベルからアニメ化までの自社の製造ラインができている KADOKAWA では、売れ筋のジャンルになっているのだ。

なろう系は、おじさん世代になじみのあるテレビゲームのシステムを模した世界が描かれる傾向にある。

また、共感を得やすい境遇だからか、感情移入がしやすく、各段落が短時間で読めるようになっているのも人気の秘密だ。

それなら、RPG で良いのではないかという意見は早計である。

なぜなら、ゲームは手間と労力が必要だからだ。

10代や20代の頃と比べ、集中力が低下したアラサーやアラフォー、アラフィフには適さない。

休日も限られているため、ゲームに長い時間をさけないというのも実情だ。

「なろう系」は、工場勤務などのブルーカラーに人気である。

工場の限られた休み時間に消費できるので職業スタイルにマッチしている。

スマホを開けば、5秒で異世界だ。

「明日もあの作業か」と考えると、スマホを開いて寝るまで異世界にいてしまう。

もちろん、多忙なサラリーマンにも人気だ。

再三いうが、短時間で現実逃避ができるツールだからである。

交通事故に巻き込まれ、「異世界」に転移したり転生したりする作品が多い。

これは異世界に転移する物語の導入を端折った結果である。

1980年代から90年代でも異世界にワープする作品や輪廻転生する作品は多かった。

ルイス・キャロル著『不思議の国のアリス』や『鏡の国のアリス』からの伝統かのように思える。

もっと古いところでいえば、ライマン著『オズの魔法使い』かもしれない。

だが、昔の異世界系とは何が違うのだろうか?

昔の異世界系は元いた世界に戻る。

しかし、いまの作品は、異世界で生きていく。

この違いである。

ミヒャエル・エンデ著『はてしない物語』の主人公は元いた世界に帰る。

サンライズが製作した『天空のエスカフローネ』でも、元の地球に戻る。

人生の分水嶺に立ったとき、ひとは誰しもが逡巡するだろう。

自分を変えるきっかけとして、千載一遇のチャンスとして、僥倖として。

物語の異世界転移というのは、ある種の試金石だったといえる。

みなさんは、『スタンド・バイ・ミー』をご存じだろうか?

昔の異世界転移は、自分自身を成長させてくれる絶好の機会であり、「ひと夏の冒険」だったのである。

昔の異世界転移は現実に戻らないといけない。

強くなった、一皮むけた、新しい自分として生きていかないといけないから。

現実と立ち向かっていかないといけないからだ。

読者は物語を通して、壮大な冒険をし、成長した達成感を味わえる。

希望を持って生きていける勇気を、ストーリーから、キャラクターから、もらえたのである。

逆説的にいえば、「成長した自分が待っている」というお決まりのラストかもしれない。

しかし、いまは、現実に……リアルに……諦観し、元いた世界に戻らない。

いわば、人生のリセットみたいだ。

現実には絶望しかないが、リセットできないため、仮想に逃げるしかない。

そうした、インスタントに現実逃避ができるツールとして最高のコンテンツである。

ヒロインのキャラクターにも時代の変化が散見される。

ひと昔前は、「ツンデレ」が流行ったが今は流行らない。

現実では、誰にも評価されないから。

褒めてくれないから。

社会で、ぞんざいに扱われ、オタクは疲弊しているのである。

一生、誰かに認められることがないまま生きていく。

承認欲求が無限に湧いてくる。

「無限の承認欲求」である。

だから、自分のことを褒めてくれる、太鼓持ちのようなヒロインが流行る。

ヒロインが無条件で自分のことを好きになってくれるなら、なおのこと良い。

オタクの「萌え」というのは、自己愛のことであり(出典『自己愛を充たしてくれる対象としての「萌え」キャラクター』)、

より時代のニーズにあわせたオタクの理想の女性像になったともいえる。

自己愛を充たしてくれる対象としての「萌え」キャラクター――汎用適応技術研究

「なろう系」はキモオタに新しい地平線を示唆してくれた。

毀誉褒貶の社会で自分自身の評価がコロコロと変わることに慟哭している人も多いだろう。

もう、スマートフォンを開くしかない。

レゾンデートル(存在理由)がゆらぎ、

諦めるしかない毎日であっても、

なろうなら、安寧ともいえる、「約束された永遠」が待っているから。

「日常系」といえるジャンルが流行ったのも、

変わらない毎日の、起伏のない毎日の、平坦な毎日の……「永遠」があったからだ。

より完成された高次の永遠が、「なろう」なのである。

 

2035年には独身が人口の50%に差し迫る時代がくるといわれている。

俺っちのような無能な遺伝子は淘汰されるので、

これからの社会は優秀な人間ばかりが残っていく。

実力がものをいう「超個人主義」の時代が来るだろうか?

そのとき、なろう系があるなら、どのような変化をみせているかは楽しみである。

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