世の中には能力に長けた人間がたくさんいる。
本を読むのが異常に速い人であったり、記憶力がずば抜けて良かったり、
文章を書くのがうまかったり、計算が異様に速かったりと、
優れた人間ばかりだ。
しかし、能力がない人間がいるというのも隠せない事実である。
能力がない人間
縦軸は1から10の定量があり、
横軸がA,B,C,D の項目からなる棒グラフがあるとしよう。
普通のひとは、A から D までどれも均等に5まで伸びている。
A の数値が 4 であったり、B の数値が 6 であったりする場合もあるが、
普通の人は普通な人のため平均な能力がある。
そのため、ほぼ 5 をマークするといえるだろう。
能力のある人間や優秀な人間、有能な人間というのは、
普通のひとよりもパラメータが高いといえる。
数値の上限を 10 とした場合に、
有能は、どれも、ほぼ 10 に近い能力があるのである。
何をやってもできるということだ。
ここで言いたいのは、才能や能力とは「知能」のことである。
能力の正体は、単純に頭が良いだけだ。
能力のない人間や無能な人間というのは、
どれも数値が低い。
1, 2, 3 といった数字が踊る。
『ニニンがシノブ伝』である。
高校の通信簿を彷彿とさせる……まるで、アヒルの体操のようだ^ー^
普通の人が普通にできることを、能力がない人はできないわけである。
やる気や努力の問題ではない。
何をやってもできない人ということだ。
『ウサギとカメ』という童話は誰もが知っているだろう。
この童話を額面どおりに受け取っては駄目である。
「カメは泳いで勝負すべき」といった意見は的外れだ。
能力のない人間は、
能力がない中で一番できるものを「自分には能力がある」と思いこむ。
上述のグラフの例でいうなら、C の能力は 3 しかなく、
一般人よりも、はるかに劣っているわけだが、
能力がない人にとっては最も高い能力なのだ。
これが、能力がないひとが持つ「才能」である。
能力がない人が 9 ないし 10 の突出した才能を持つことは、ほぼない。
完全なレアケースだ。
大抵の場合は3の能力ぐらいしかなく才能もないが、
それでも、3の数値を才能があると思いこむしかない。
能力がある人は作業のスピードが基本的に速い。
普通の人が 8 時間かかるものを 3 時間でやり遂げてしまう。
よく高校生はできる人に勉強時間を訊くが、
あれは意味がない。
たとえ、3 時間であっても作業そのものの効率や速度が違うのだから。
文系か理系どっちか、文理選択なんて話をきく。
文系は理数科目ができないなどと、
まことしやかにいわれているが、
よく考えると「数学ができない人」なだけだった。
まさしく、オレっちである。
文系の中にも、数学ができる人はたくさんいる。
「数学ができないから文系なんですよ^ー^」なんて笑い話のように言っていたけれど、
文系でも数学ができる方々に失礼だ。
謝りたい。
能力がない人の特徴
たとえ話が下手
能力がない人は、たとえ話が下手である。
普通の人が理解しやすいような例が思いつかないからだ。
話の組み立てかたが下手なのもある。
物事の本質がつかめない
物事の本質……コアの部分をつかめない。
意思決定に失敗するし、人生の分水嶺においても間違える。
買い物も下手である。
家を買ってはいけない。
視野狭窄に陥り、自らの過ちに気づけないことも多々ある。
教わるのが下手
能力のない人は教わるのが下手といわれるがまさしくそうである。
能力がないのにプライドばかりが高いので、
人の話をきかないといわれるかもしれない。
つまり、人から教わる才能がないのである。
なので、学校の授業や講義も意味がない。
「バカが良くしゃべるようになった。昔のバカは黙っていた」と老師が言っていた。
現代の義務教育では「自分自身を表現しましょう」などと教育しているからなのかもしれない。
SNS の発達もあるだろう。
エコーチェンバーもあるので SNS は気をつけたい。
能力がない人間は、誰にも理解されぬがまま黙っているのが一番である。
能力がない人ができる努力
母胎にいるときに、
「普通の人に産んでね。普通の人でいいから^ー^」などと、
母親に LINE をするのが一番だろう。
これが、無能ができる努力だ。
能力がなくても周りに優秀な人を集められるなら最高である。
教わる才能がなくても優秀な人から教われば、
わずかながらも普通の人に近づけるはずだ。
また、頭が良さそうに振る舞うのはやめたほうがいい。
人様は気づいているもので、そういった人間は後ろ指をさされているものだ。
血筋を自分で終わらせるというのも良い選択だ。
若者の自殺率が1位なのも、うなずける。
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底辺の環境はトップ層よりも人情味にあふれ、
性格が良い人が多いかのように思われるがそんなことはない。
ちなみに、人をいびりちらかしてくるのは中の上か中の下が多いのは覚えておこう。
容姿端麗かつ温厚篤実で頭が良い人が増えている。
賢い人は一流企業に勤め、
美人で頭の良い女性と結婚する傾向にある。
そのため、子供は容姿と頭が良く、裕福な家庭環境のゆえ、
良質なパーソナリティが醸成されるのである。
「顔を見ればどんな人間かはわかる」は言い得て妙なのかもしれない。
こうしたサイクルが、そろそろ4周目ぐらいになるので、
選りすぐりの優秀な人間が多くなる。
能力がない人は、
誰にも理解されることがなく生きていくしかない。
慟哭・号哭することがあっても、
心に刃を潜ませながら生きていく。
まさに「忍」である。
これが、能力のないひとの生き方だ。
能力がない人がやっても意味がないこと
誰かを褒める。上司や先輩を褒める。
「〇〇さんはすごいですよね――」と誰かを褒めたとしよう。
こうした太鼓持ちのキャラクターを演出するのも重要だが、
無能には逆効果だ。
誰かを褒めるとき、誰かが自分を貶している。
これは覚えておくといい。
親切な人は「あなたの尊敬している〇〇さんは、あなたのこと使えねえって言ってましたよ^ー^」と教えてくれる。
言葉を覚えても意味がない。
一時期のクイズ番組は、
常用外の漢字の読みかたのテストだとかそんなものをやっていた。
誰かをいじるような番組は苦情が来るので苦肉の策としてクイズ番組だとかはきいた。
こうした難読漢字を読めるかどうかで頭の良さをはかっていた。
だが、能力がない人が、
難しい漢字や難しい言葉、カタカナ語、固有名詞を覚えても意味がない。
アナウンサーの原稿でさえ、難読漢字にはふりがながふられている。
無能が難しい漢字や言葉を覚えたところで、
「あの人は言葉ばかりに頭がいっているのかな? バカなのかな^ー^」としか思わない。
感情を抑える。
無能は少しできると調子に乗る。
もちろん、人間は調子のいいときには調子に乗るべきだ。
だが、誰かに闇討ちされるとも限らない。
そうしたときは、冷静になって心に刃を潜ませよう。
能力がない人は、
誰にも理解されることなく生きていく。
慟哭・号哭することがあっても、
心に刃を潜ませながら生きていく。
まさに「忍」である。
これが、能力のないひとの生き方であり生き様だ。