若者が「サステナビリティ・サステナブル」について話しています。
「持続可能な社会」とか「持続性」とかそんなような意味です。
現代社会では、高度経済成長からのよりすぐりの人間どうし交配をしてきました。
Z世代……ズーマーの連中は、3順目ぐらいの製造になりますから、
人間としてのスペックが我々のような古い世代とは違います。
知能も高いですし、背丈も190cmぐらいあります。
しかし、俺っちは気づいてしまいました。
ズーマーに欠けているものを。
ズーマーにはなくて俺っちたちにはあるものを。
ですから、古い世代の人々……ジェネレーション Y の俺っちたちは、
決して悲観する必要はないんです。
ズーマーの連中は、紐帯とか相互扶助といった考えはありません。
俺っちたちが信じてやまなかった「きずな」といったものがありません。
平気でヒトを見捨てます。
約束を守るという儒教の教えを知りません。
酷薄かつ冷淡でヒトを機械が何かだと思っているのでしょう^ー^
わかりあおうとしません。
「ワテクシの場合は……」と自分の意見を主張します。
貴方の意見を訊いているのだから、
わざわざ「ワテクシの場合」と言わなくてもいいんですよ^ー^
これはどこかで他人と線引きがしたいという、深層意識のあらわれです。
道で転んでいるヒトを助ければ、自分にも返り血がつきますし、
誰かのために何かをするというのは、自分の時間……ひいては人生を使うということです。
連綿と続いた「きずな」というシークエンスは無くなってしまいました。
もはや、親兄弟であっても信用できません。
冷静に考えるのと、もともと無くてもよいものだったんでしょうね^ー^