『わたし、二番目の彼女でいいから。』を読みました。
話のベースになっているのは『未来にキスを』でしょう。
恋人を共有するのも「リレーション・コントロール」のそれですしね。
主人公は支配したいあまり、
ヒロインに首輪を付けて夜の公園を散歩したり、
幼児退行させたりするヤバいやつで、
単なるサイコな気がしますね^ー^
幻想的な純愛のパラドキシカルが今作であるといえ、
壊れていく感情を綴ったジュブナイルといえるでしょう。
「だから、 小学生に戻ろうと思うんだ」
「ん?」
「小学生に戻れば、 ありのままの気持ちを司郎くんに伝えられるから」
「ちょっと話がとびすぎてて、 ついていけてないんだけど」
「司郎くんも、 小学生の私と話したいでしょ?」
「仮定の話? メタ ファー?」
「ううん、 現実の話だよ」
作中で、宮沢 賢治の『春と修羅』の引用があります。
「わたくしといふ現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です」
まあ、この引用は特に意味はないと思いますけど^ー^
『愛と修羅』の引用もありますね。
退廃的でアナーキーな思想ではあるけれど、
主人公は青いわけですし、
それだけ、葛藤しているということでしょうか。
主人公はヤバイやつなので、
俺は人間で感情だった。
耳元でいう。
「俺の女の子だろ」
などと言います。
スクールなんちゃらとか、
サマーデイズで「俺の女を貸してやろうか」で言っていたヒトもいましたけど、
そのヒトと似ていますね^ー^
一番好きなヒトではなく、二番目に好きなヒト同士で交際するというのが、
『わたし、二番目の彼女でいいから。』のテーマであります。
自分が好きなヒトよりも「自分を好きになってくれるヒト」を選んだほうがいい、
というのも内包されているのでしょう。
作中で「排除アート」が取り上げられています。
不良を排除する目的で公園などに置く、あの、現代アートです。
不良を追い出したという現実を直視することなく、不良を排除できる……。
そんな排除アートのように、
物語を美しく仕立てることが嘘であると言及しています。
そして、嘘の塊である排除アートのことを主人公は嫌っていましたが、
結局、表面的な綺麗さを求めていた主人公こそが排除アートそのものだと気づくんですね。
俺 は 排除 アート じゃ ない。
本当は 存在 する もの を 追い だし て、 み ない よう に し て、 きれい な 人工 の 物語 を つくっ て、
それ を 美しい と いっ て 無自覚 に 酔っ て 浸っ たり し ない。
俺 たち には 欲 や 願望 が あっ て、 それ を 無視 し たり し ない。
なかっ た こと に し ない。
「わん…… わん っ……」
橘 さん が 口 の なか で 小さく 鳴き はじめる。
「犬 になり たい のか?」
俺 が いう と、「 だって」 と 橘 さん は いう。
事の顛末は、ヒロインは転校して、もうひとりのヒロインは中退するカタチとなりました。
人 を 愛する と いう こと は、 本来、 人 それぞれ の 愛し かた の 形 を 持っ て い て、 ひとり として 同じ 形 で ある はず が ない。
その 辺 に 落ち て いる 物語 と 同じ 形 を し て いる はず が ない。
だから 俺 は、 俺 たち だけの 恋愛 の 形 を 探し た。
官能小説みたいな内容なので、アニメ化は無理でしょうね^ー^
いやするのかな?
自分本位な登場人物が多く、
思慕とか思いやりとか人間性とかはないです。
今の若者みたいですね!
大学生編の新刊は、明日から発売です。