『天気の子』 感想

「だから、泣かないで……帆高」

先日みてきました。

夏休みのガキと親子連れが多くて、こいつら大丈夫かって思いました。

ほぼ満席でした。時間帯が良くなかったのかも。

映画館も席が後残りわずかって煽っていたんでそのせいもあるかも。

銀幕が降りると感想がちらほらきこえてきて、

ガキの中には、「感動した」というヤツもいてびっくり。

なかには『君の名は』に出てきたキャラクターがどうのこうの言っているヤツもいました。

花火の映像がドローンで撮影したみたいですごい綺麗でした。

で、この映画なんですけど、かなりひとを選びます。

心に響く人と響かない人がいます。

面白いと思うかたは「つまらないと思うオマエには魅力がわかんねーよ」っていうでしょう。

賛否両論ある作品は名作の法則が使えるかな。

ジャンルは伝奇です。

日本のどこかにありそうな普遍的神話ですよね。

陽菜さんが生贄となって快晴になりました。

陽菜さんが皆の「てるてる坊主」になったわけです。

めでたしめでたし、とはいかず、その先があるわけです。

余談ですが、てるてる坊主の起源など(掃晴娘)を調べてみると何かヒントがあるのかもしれません。

異常気象が人々を苦しめていましたが祈祷師の命を代償に安寧が訪れました。

って普通は書くと思います。

長々と書くなら、

人身御供となって彼女は世界を救いました。
大人たちは知らない。いや、子供でさえ知らない。
知っているのに知らないのかもしれない。
だって、世界は変わらないのだから。
でも、ふと僕は思い出すのです。
あの一夏の思い出を――天気の思い出を。
世界を救った「彼女」のことを。
こんな感じになると思います。
それを、世界なんてどうでもいいっていってるのだから、
婆さんが「巨視的に見れば物事は変わらない。元に戻っただけ」といい、事務所で「セカイは変わったりしない。もともと狂っているんだ」と須賀さんから言われる。
だけど、「セカイを確かに変えたんだ」と確信するんです。
つまり、セカイ系を超えたセカイ系なんですね。
地球とか世界とか持続可能な社会とかシステムとかどうでもよく、世界は暗澹としている。だから、陽菜さえいればそれでいい。
登場する大人ってすごく冷たいことや辛辣なことをいいますよね。
新宿のひとが冷血漢ばかりで、警察だって「鑑定医、いりますかね」ですよ。
「みんな生きるのに必死なんだ」って言われればそれまでですけど。
それだからこそ、須賀さんや夏美さんのひとの良さが際立っているんです。
須賀さんは、すごいひとが良くて博覧強記な人物として描かれているんだけど、
現代社会がゴミすぎるのですれている。
たぶん、視聴者が共感できるキャラクターなんじゃないかな。
姪の夏美さんは、ひとが良いのもさることながら、すごい聞き上手なんですよね。
彼女の手にかかればどんなひとも話してしまう。まさにライター向きの逸材です。
狂言回しとして登場する、占い師、婆さん、老師は、天気の巫女が人柱になること、彼岸の存在を伝えてくれる重要な役目です。
警察は、人生を邪魔してくるやつらの例えでいいんじゃないかな。
舞台が新宿なのは主人公の帆高が東京の中心だと思っていたんでしょう。
小道具や舞台装置でいうと、
『君の名は』ではパンケーキに喜ぶんだけど、『天気の子』ではジャンクフードやインスタントに喜ぶ。それだけ社会が貧困化した表現かな。
ナスやキュウリで牛や馬をかたどった精霊馬が彼岸との関係性を伝えてくる小道具になっていますし(あと、鯛も)。
最後に陽菜さんのチョーカーが切れるけど、天気の子としての役目や紐帯が切れた表現だと思う。
雪が降ったのはヒナさんのあせりや心情を反映したからでしょう。
透明な魚は、死者の魂……今まで供物にされた天気の巫女の魂でいいかな。
まとめ
  1. 誰かが犠牲になれば問題が解決する。それが社会のシステム。
  2. 陽菜さえいればいい。社会などどうでもいい。
  3. 巨視的に見れば物事は変わらない。一個人の選択でセカイは変わったりしない。
  4. だけど僕たちはセカイを変えたんだ。
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