モノは自由を奪う
どっかのオッサンが貨幣とは鋳造された自由であるって言ってたんで、
この言葉の意味について考えてみようかと思う。
書くことが沢山あるが書けないので今回もお茶を濁す。
さて、日産にはCAがいる。
読み方はシーエーである。
シーエーってのは、カーライフアドバイザーの略称で日産の営業である。
彼らは営業の成績のために、ゴミのようなポイントがつくだか日産の商品が5%引きになるクレジットカードを勧めてきたり、
これまたカスのようなエンジンオイルを勧めてきたり、親切ごかしにタイヤを勝手に選んだりする。
俺っちの自由を強奪してくる敵である。
俺っちの最強にブリリアントな人生の邪魔をしてくる簒奪者である。
テレビのコマーシャルでは、楽しそうにドライブをする家族や若者がまことしやかに映し出されるが、これは洗脳である。
みんながみんな楽しそうに運転しているなんてとんでもない。
多くのひとは通勤などで仕方がなく運転しているのである。
誰が楽しそうに運転してんだよ。調子に乗るなよカス。
何が「運転とは運を転がす」だ。口に税金がかからないから調子こきやがって。
つまり、何がいいたいかというと、モノが増えればそのぶん時間が奪われるのである。
自由が奪われるのである。
日本の茶室が家屋の究極だと信じてやまないミニマリストが、モノをなくすのも自由が欲しいのかもしれない。
ガジェオタの皆さんにわかりやすくいうならば、
スマ・ホンが増えすぎたあまり、ひとつひとつのデバイスにかける時間が増えてしまうことを想像してもらいたい。
モノは自由を奪うのである。
自由を鋳造したのがお金で、モノを買うことで、モノに自由を奪われるのである。
社畜は時間を金に換える
こうしたサイクルの他にも注視すべき現象がある。
社畜は自分自身の時間を金に変換している。
自由を、時間を金に変換しているのだ。
突っ立っているだけで時給が発生するアルバイトもそうだ。
働くという行為は時間を金に変えるのである。
当たり前のことだが、仕事をやめれば時間が増えるし、消費行動を辞めれば、時間が生まれる。
スローライフを満喫したいがために田舎にやってくるトウキョウモンがいるが、
そいつらは本当の意味でのスローライフを知らない。
田舎の不便さや煩雑さを知っていればスローライフなどないことが嫌でも気づかされるだろう。
蝶になれオタク
『アリとキリギリス』という童話をご存じだろうか。
この童話は所詮、労働者階級の二項対立にすぎない。
汗水たらして働いたところでクセェだけだし、努力の是非を問われたところで意味がない。
だから、あの童話の言説に惑わされることなく、
アリでも、キリギリスでも、セミでも、ましてやトンボでもなく、
我々は空を自由に舞う、「蝶」になるべきなのだ。
現代社会の奴隷ではないのだから。
多幸感に溢れた人生や僥倖に恵まれた一生の象徴ともいうべき、蝶。
ひらひらと自由に花と遊ぶ蝶。
俺っちは蝶になりたい。
ちなみに、即興でつくったこんな文を読むと自由が奪われる^-^
「普段こんなこと考えているのかよ。やべぇヤツだな」って思わないでください。
ブロガーごっこしてみました!^-^!