序盤の母親の死は、銀河鉄道の夜のオマージュである。
???「もう駄目だめです。落ちてから四十五分たちましたから」
赤の他人を助けることの自己犠牲の是非が問われている。
そのほかにも「幸せ? どうやって?」など、
銀河鉄道の骨子が下敷きになっていることがわかる。
この作品のテーマは「母性」だ。
マグカップが欠けていることは、家庭における母性の欠落を示唆する。
幼馴染の男子・しのぶくんが主人公を見ているのも母性の現れだ。
竜の城にある、顔がない肖像画は母親の不在である。
もっとも、城自体が心理学でいう「シャドウ(影)」であるが。
これは TV アニメ『少女革命ウテナ』でも使われたことであるし、
目新しさはないかもしれない。
現実の容姿、真の姿を仮想世界であばくことを作中では「アンベイル( un-veil )」という。
主人公はアンベイルされ、アバターの衆人環視のなかで歌う。
「衆人環視」は、SNS, 村社会の置き換えである。
すすり泣き、応援する姿や集団の合唱からは、とてつもない母性を感じる。
これは、村社会もアンベイルされたということだ。
監視社会や村社会( SNS )に対するアンサーである。
「誰かが見ている」「誰かが見守る」というのが母性の本質であると作品が訴えている。
『竜とそばかすの姫』は『美女と野獣』『オペラ座の怪人』を随所にオマージュしたのだろう。
竜はファントムだ。
しかし、それらのカウンターであるといえる。
主人公の住む限界集落は、閉鎖的な封建社会の象徴である。
男性にコントロールされる女性の解放や封建社会からの脱却……、
作中の言葉ならアンベイルといっていい。
趣きとしては、ウテナや生存戦略であるともいえる。
バーチャルなディーバというのは、
キモオタクアニメでいえばシェリルや美雲を彷彿とさせる。
主人公は「鈴」の英語で「 Bell 」としたのだろうが、
作中ではフランス語で美しい意味をさす「 Belle 」といわれている。
身近なベルと似た概念は、
古いものでいえば、時祭イヴやシャロン・アップル。
ゼロ年代ならメイコや初音ミクなどのボーカロイド。
最近なら VTuber なのかもしれない。
DV を受けている少年の家まで行き、
少年を救うというのが終盤の展開であるが、
この行動は、亡くなった主人公の母親と重なる。
「殺されるかもしれない」という戦慄が走る。
DV 夫に暴力を振われるが、
顔に血を流しながらも、
毅然と、ヒロイックに、立ち向かう。
ちなみに、DV 夫は、主人公をアンベイルした自警団(ジャスティス)の金髪・ジャスティンだろう。
夢想的かつ牧歌的な U も現代社会と変わらない。
メイクをする、仮面を付けるという行為は、
U の舞台に立つのと同義である。
現代社会にも、作品のいう母性があると思う。
サマーウォーズでは、
インターネットの誰とでも繋ぎ合える強みを
村社会の絆だと解釈してみせた。
戦国時代の戦となった文化や SNS の絆を活かして、
テレビゲームの強敵と戦うといった快活さが爽快だった。
時が経ち、インターネットはムラ社会と似た閉じたものになった。
竜とそばかすの姫は、
作風としては暗いのかもしれない。
しかし、この作品の真髄は、
村社会や SNS の負の面や監視といったマイナスとなるものを、
「母性」だと表現したところにある。
俺っちとしては、サマーウォーズより好きですね^ー^
あと『 U 』って曲がいいです。
同じくメタバースを舞台にしたハローワールドよりもいいですね^ー^