わからせる気がない文章とは?

わからせる気がない文章というものが世の中には存在します。

みなさんは学校で国語を学んできたわけですから、

「文章というものは、真面目に読まなければならない」と思っていることでしょう。

メインストリームを押さえつつ、テクストを体系的に理解する……。

そんなことはありません。

世の中には、わからせる気がない文章というものが確かに存在します。

書くのが面倒で単語を並べただけの文章や、

欄を埋めるためにテキストを流しただけのものがあるのです。

貴方の理解が不足しているのではなく、

そもそも、読ませる気がないのです。

ときには読み手ではなく執筆側のキモチになることが大切です。

例を挙げましょう。

ポスターをみてください。

???「いまではあたり前となってしまったソーシャルディスタンス。だけど、お互いの距離は離れてもハートはつながっていたい」

意味がわかりません。

おそらく、ハートとパンダの素材をイラレで作った後に、

文字を並べたのだと思われます。

このような例を踏まえて、いくつかの問題を解いてもらいたいです。

自学自習の武田塾のスタイルでいきましょう。

問1

出典:橘 玲 『もっと言ってはいけない』

「日本人(20歳)の平均身長は男性170センチ、女性158センチ」というのは統計的に事実だ。

「知り合いの男の子は身長165センチしかない」とか、「モデルの娘は身身175センチだ」といってこの事実を否定するひとは(たぶん)いないだろう。

世の中 には背の低いひとも高いひともいる(身長の分布がばらついている)ことは誰でも、知っている。

正規分布(ベルカーブ)の場合、そのばらつきのなかでもっとも頻度が高いの が平均値になる。

それに対して「ハクチョウは白い鳥だ」というのは定義だ。

「A=B」の関係が普遍的に(どのような場合でも)成り立つとの主張は、たったひとつの例外で木っ端微塵に粉砕されてしまう。

1967年にオーストラリアでコクチョウ(ブラックスワン)が発見されたことで、「ハクチョウ=白い鳥」という常識は覆された。

こんなことは当たり前だというかもしれないが、世の中には統計的事実と定義を混同するひとがいる、それもものすごくたくさん。

『言ってはいけない』で、行動遺伝学によれば「一般知能 (IQ)の遺伝率は77%」と 述べた。

これは統計的事実で、「知能の分布のばらつきの約8割を遺伝で説明できる」 という意味だ。

ところがこれに対して、「親が高卒なのに子どもは東大に入った」とか、「医者の知人の子どもは高校中退だ」などの(たまたま知っている)経験的事実を引き合いに出して、 「この本に書いてあることはデタラメだ」と自信たっぷりに断言する批判があふれた。

インターネットのレビューを一瞥すれば、この類がいかに多いか驚くだろう。

中学校で習うようなことだろうが、統計的事実を経験的事実(外れ値)によって否定することは できない。

これは典型的な誤謬だが、それとは逆に、「統計的事実の一般化」という誤解も頻繁に見られた。

「知能における遺伝の影響は思っているより大きい」というのは行動遺伝学が双生児研究によって積み上げた知見だが、

そこから「知能は遺伝で決まっている」と決めつける ことはできない。

「喫煙はがんのリスク因子」という統計的事実から、「喫煙者はかならずがんになる」といえないのと同じだ。

ヘビースモーカーでも長寿をまっとうするひとはいる(ただし、喫煙ががんのリスクを高めることはまちがいない)。

ところがヒトの脳は、直観的には因果律しか理解できないようにつくられているため、 あらゆる出来事に無意識のうちに原因と結果の関係を探す。

これが、自分にとって不愉快な統計的事実を定義と混同し、それを否定するために経験的事実を「ブラックスワン」として持ち出すいちばんの理由だろう。

「ブラックスワン」は何の言い換えでしょうか。

文章から2文字で抜き出しましょう。

 

答えは、「例外」です。

ブラックスワンとは、例外のことですね。

次に行きましょう。

問2

福永武彦『夢のように』

夢のようだという表現は、恐らくは流れて行く時間の早さを示すために、人類とともに古くから あったのかもしれない。

それはまた人生の有為転変を示すものでもあった。

浦島太郎にしても、リッ プ・ヴァン・ウインクルにしても、彼等が別世界で暮していた間の時間は、あっというまに過ぎ去って いた。

考えてみると、彼等の別世界における日常では(必ずしも別世界でなくてもいい、自覚せられて いない日常という意味である)時間はゆっくりと、等間隔にリズムを打ちながら、過ぎて行きつつあった。

しかしある瞬間に(つまり彼等がこちら側の世界に戻って来た瞬間に)過去は一種の衝撃となって 彼等に迫って来る。

それは眠りから急激に覚めた時の印象に似ていて、過去は流動する流れとしてではなく、一個の物として認識される。

その点から、彼等の体験はまさに夢と似かよって来る。

何となれば 夢というものも、日常とは別の次元に属し、流れではなく物であり、無時間の渾沌とした大きな塊りな のである。

そして昔を顧みて夢のようだと言う時に、時間はその日常的な早さを一足飛びに飛び越してしまっている。

飛び越された部分、つまり夢の部分は、燃え尽きた時間の灰にすぎない。

そしてその灰は刻々に冷たくなり、次第に形を失い、忘れられ、ついには風に吹かれるがままに四散して、あとには何も残らなくなる。

従って、夢のようだという表現は、時間の早さを示すことによって、人生のはかなさをも示してい る。

信長が桶狭間の出陣を前に幸若舞の「敦盛」を舞って、「下天のうちをくらぶれば、夢まぼろしの ごとくなり」と歌った時に、彼は敦盛の哀れな生涯を貫く鍵語としての「夢まぼろし」を、人生一般に 通じる象徴として、一つの決意にまで高めたのであろう。

人生が一つの夢だということを真に悟りさえ すれば、信長でなくても、その人間には何一つ恐れるものはないはずである。
こういうふうな夢への共感は、私には何となく日本的な感じがする。

もちろん人生が夢に近いとい う考えかたは、文明人から野蛮人まで、古今東西を問わず共通のものだろうが、日本人の場合には仏教 の無常感と結びついて特に身近に感じられたのだろう。

たまたま「一遍上人語録」の中に次のような言葉を発見した。

「夢と現とを夢に見たり。種々に変化して遊行するぞと思ひたるは、夢にて有りけり。覚めて見れば少しもこの道場をばはたらかず、不動なるは本分なりと思ひたれば、これもまた夢なりけり。」
夢から覚めてみれば、現もまた夢だったという二重の構造によって、夢は一層その眩暈的な作用を果している。

それは宗教的に解釈すれば、迷いの中にあっては悟りと思われるものも迷いにすぎないこと を示すのだろうが、しかし一般に、私たちは人生が一つの夢であり、覚めてみてもまだそれが夢である というふうには考えないものである。

人生が「夏の夜のうたたねに垣間みた夢まぼろし」(「真夏の夜の 夢」)だというのは、舞台の上で演じられている場合に限られていて、よほどの悟り切った坊さんででもない限り、人生が夢とは別物であることを知らない者はない。

「人生の有為転変」の言い換えを抜き出しましょう。

 

 

「人生の有為転変」とは、「人生のはかなさ」のことです。

よって、答えは、人生のはかなさです。

問3

出典:フランツ・カフカ 『変身』

「お父さん、お母さん」と、妹はいって、話に入る前に手でテーブルを打った。

「もうこれまでだわ。あなたがたはおそらくわからないのでしょうが、わたしにはわかります。こんな怪物の前で兄さんの名前なんかいいたくはないわ。だから、わたしたちはこいつから離れようとしなければならない、とだけいうわ。こいつの世話をし、我慢するために、人間としてできるだけのことをやろうとしてきたじゃないの。だれだって少しでもわたしたちを非難することはできないと思うわ」

「これのいうのはまったくもっともだ」と、父親はつぶやいた。

まだ十分に息をつけないでいる母親は、狂ったような目つきをして、口に手を当てて低い音を立てながら咳をし始めた。
妹は母親のところへ急いでいき、彼女の額を支えてやった。

父親は妹の言葉を聞いて、何か考えがきまったように見えた。

身体をまっすぐにして坐ると、下宿人たちの夕食からまだテーブルの上に置き放しになっている皿のあいだで小使の制帽をもてあそんでいたが、ときどきじっとしているグレゴールの上に視線を投げている。
「わたしたちはこいつから離れなければならないのよ」と、妹はもっぱら父親に向っていった。母親のほうは咳きこんで何も聞こえないのだ。
「こいつはお父さんとお母さんとを殺してしまうわ。

そうなることがわたしにはわかっています。

わたしたちみんなのように、こんなに苦労して働かなければならないときには、その上に、家でもこんな永久につづく悩みなんか辛抱できないわ。

わたしももう辛抱できないわ」そして、彼女ははげしく泣き始めたので、涙が母親の顔の上にかかった。妹は機械的に手を動かしてその涙をぬぐってやった。
「お前」と、父親は同情をこめ、まったくそのとおりだというような調子でいった。

「でも、どうしたらいいんだろうな?」
妹は、途方にくれていることを示すために肩をすぼめた。泣いているあいだに、さっきの断固とした態度とは反対に、どうしていいのかわからなくなっていたのだった。
「あいつがわれわれのことをわかってくれたら」と、父親は半ばたずねるようにいった。

妹は泣きながらはげしく手を振った。そんなことは考えられない、ということを示すものだった。
「あいつがわれわれのことをわかってくれたら」と、父親はくり返して、眼を閉じ、そんなことはありえないという妹の確信を自分でも受け容れていた。

「そうしたらおそらくあいつと話をつけることができるんだろうが。だが、こんなふうじゃあねえ――」
「あいつはいなくならなければならないのよ」と、妹は叫んだ。

「それがただ一つの手段よ。あいつがグレゴールだなんていう考えから離れようとしさえすればいいんだわ。そんなことをこんなに長いあいだ信じていたことが、わたしたちのほんとうの不幸だったんだわ。でも、あいつがグレゴールだなんていうことがどうしてありうるでしょう。もしあいつがグレゴールだったら、人間たちがこんな動物といっしょに暮らすことは不可能だって、とっくに見抜いていたでしょうし、自分から進んで出ていってしまったことでしょう。

そうなったら、わたしたちにはお兄さんがいなくなったでしょうけれど、わたしたちは生き延びていくことができ、お兄さんの思い出を大切にしまっておくことができたでしょう。

ところが、この動物はわたしたちを追いかけ、下宿人たちを追い出すのだわ。

きっと住居全体を占領し、わたしたちに通りで夜を明かさせるつもりなのよ。ちょっとみてごらんなさい、お父さん」と、妹は突然叫んだ。

「またやり出したわよ!」

次の選択肢から適切なものを選びましょう。

  1. グレゴールが虫になるというのは、いわば、「老人介護」の暗喩であり、介護にともなう家族の軋轢や哀哭を描いている。
  2. 兄がウンゲツィーファーに変身して残ったものは、妹の体をゆるがす慟哭だけだった。
  3. 変身したのは兄ではなく、実は家族だった。
  4. 兄が虫になるというのは、「老化」したということ。
  5. 兄が虫になるというのは、「変容」したということ。
  6. 介護をきらった家族に殺されるというアレゴリーを表現している。
  7. 兄をぞんざいに扱う一般家庭を表現している。
  8. 介護を嫌った家族が、兄をいつ老人ホームにぶちこもうかと今か今かと待ち望む様相を呈している。

 

これは、難しかったですね。

正解は3番です。

問4

出典:『Air』

少女の気持ちとして妥当なものを選びましょう。

  1. 産まれてきてごめんなさいという気持ち。
  2. 厭世観に満ちており、いやしい私利私欲のために産んだ親をうらむ怨恨感情にとらわれている。
  3. 無能ながらも身を粉にして働いてきたが、何ひとつ良いことはなかったという気持ち。
  4. 努力が奏功することはなく、他人に迷惑をかけ、何ひとつ良いことはなかったという気持ち。
  5. 人間性の自由を奪う社会システムの被害者だったと深い悲しみに暮れている。
  6. 花鳥風月を愛する少女は、人間と社会が嫌いで嫌いでたまらない。
  7. 嫌いな上司をどうやって陥れてやるかという気持ち。
  8. 機械化した機能的な社会の生け贄だと痛感している。

 

正解は4番ですね。

みすずちんのキモチを考えれば、おのずと4番にたどりつくはずです。

 

4問中1問でも正解すれば御の字です。

日本人の3人に1人は日本語ができない読めないなんていわれていますけど、

俺っちも日本語ができません。

現国の偏差値とか30ぐらいしかないと思います。

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